自我崩壊呪文ランチーナ・ニタ・ヴェル
何か書こうと思って忘れた。
ということって良くあると思う。
というか、書こうと思ってスマホのテキストエディタやノートに向き合うと「あっ、そういえば具体的に何書きたいとか無いわ」と気づく。
何を書こうと思ったのだろう?
書く意味……そもそも、自我とは。
ここはだれわたしはどこ?
何故生きる……日が沈んで行く……カラスの鳴き声……いや、ただのノイズか…………
……………………無。
みたいになる。
なりますよね。
ノリで何かやろうとして思ったより自分の中に何も見つからなくて虚無を感じるの。
まだしも、そういう虚無感を話す相手がいると、呆れて笑うその目の中にぼくが居るのがわかって、ほっとする。
みたいなの、ありますよね。
ない? いやあるはず。ありますよ。
あの、いつも、悩んでいる。
悩む。
休みの日とかだ。
仕事の日は良い。
仕事は「何のために何をやるか、それにはどういう意味があるか」が明確なので。
それによって、ルーティンみたいなのが出来上がってるので。
あまり悩まない。
でも、休みの日だ。
困る。悩む。
ランチ何食べようか悩む。
まじで。
何食べようね。
休みの日のランチね。
休みの日のランチ何食べようか悩む。
せっかくだしどっか食べに行きたいね。
でも、せっかくだしって言うけど何が食べたい?
うーん……
と、なる。
とてもよく、なる。
ぼくはいったい何を食べたいのだろう?
なんで明確じゃないのだろう。
自我とは……?
…………………………無。
経験を経てわかってきたことは、ランチ何食べるかと言う問題の正解は「○○を食べる」と言うことではないということだ。
わかってきたことは、ぼくは、しあわせな気分になりたい、ということだ。
答えは、
「ランチ何食べたい?」
「しあわせな気分になれるやつ食べに行こう!」
だ。
何食べたらしあわせな気分になれるかだって?
いろいろだ!!
いろいろなので、いろいろ言ってみる。
中華、ピザ、おさかな、串カツ、ギョーザ、カレー、スリランカカレー、麻婆豆腐、インドカレー、立飲み、あの店この店…………
自我を……そのときの自分の感情を見つめつつ、いろいろ言ってみて、感情の水面の波形の変化を観察する。
………ザ…………ョ………ザ………………ギョー……ザ………………
よし!!
感情が応えた!
そこにしあわせがあると!
ギョーザ屋にそれはあると!!
ビールは飲むか?
飲………………………む!飲む!
有りとする!
おお…!
考えてる間にすっかりランチタイムだ!!
いざお出かけ!
ああ、外出てみたらいい天気だなぁ。
良い気分。もっと早く出かけたら良かった。あのギョーザ屋席空いてるかな?
商店街は活気づいているぜ。あんがい昼呑みやってる店多いんだなあ。いろんな店あるな。えっ……ハッピアワーで生中100円?
「っらっしゃいませー!」
気づいた時にはギョーザ屋ではなく魚介居酒屋にいた。
お刺身ランチwithビールまじしあわせ。
しかし、何だったのか。
あのときギョーザに光を見出した感性は。
あの感覚は仮初めか。
ぼくはぼくなのか。
自我とは……。
……………………無
その発言はデュアルフェイス
南京町に雑貨屋さんあるじゃないですかぁ。
あの、中華街の。
中華街の雑貨屋さんです。
中華街の雑貨屋さんなので、中国雑貨がいっぱい。
カンフーシューズやチャイナドレス、赤と金色の中華模様の紙とかパンダグッズ、最遊記パズルとかそういう。
南京町で、餃子食べてですね、美味しかったんですよ。
中華街にぎやかだなー、やっぱ餃子も美味いんだなー、いいなー中華、あっ、雑貨屋さん、中華がいっぱい!
ってなるじゃないですか。
なんか、勢いで、なんか買おうってなるじゃないですか。
んで、アラレちゃんTシャツを買った。
なんかそういう、日本で知られてない中国の子ども向けアニメのキャラクターでアラレちゃんってのが居て、そのいい感じにカワイク絶妙にダサい感じが逆にオシャレとかそういうアレではなく、Dr.スランプのアラレちゃんです。
その、T。
でもたぶん、非公式です。
なんか、あるじゃないですか、雰囲気が。あるかなしかの、非公式感が。
まあ、それがなんか良くて。
買いました。
レジで店主さんが、
「これって、何のまんがですか?」
とぼくに問うので、あっ取り扱ってるけどよく分かってないんだな中国では知名度低いんだな、と思って、
「これはアラレちゃんっていって、日本では皆知ってるまんがのキャラクターなんですよ」
と、紹介した。
彼の国から日本へ来て商売してる中国の人に日本文化を知ってもらおうと思いまして。
「世代じゃないのかなー、全然知らなかった」と店主さん。
「いえいえ日本では皆知ってると思いますよ」
「そうですよ、店長がモノ知らなすぎなんですよ」と店員の女性も言う。
とか、ちょっとやりとりあって、気づいたんですけど、この店主さん、日本人だ!
だとすると、なんか、すげー失礼なこと言ったな。ぼく。
無知!無知かよ!と。
日本人なのに、日本人なら皆しってるキャラクターを知らないのかよ!と。
さっきのぼくの発言は、そう言ってるのに等しい。ひゃあ。
こう、なんというか、失礼は、失礼なんですけど、それはそれとして、相手が何者かによって、ぼくの発言の意味がグルリと変わったわけで、その、こう、意味の変化の遷移が、そのアグレッシヴさが面白くもある。
おお、意味。お前そんな表情も出来たのか!?
と。
すみません、店主。
ハロー、違う顔したイミ。
マスターピースは帽子でした
帽子が要る。
強くそう思う。
帽子とは、何かっていうと、頭に被せて日差しを防いだり虫から保護したりするためのものです。あとは、ファッションアイテムです。
先日の酷暑の折、たった1分すら日向を歩いてられなかった。
インドのなんかの修行のイメージ。火渡りとかの。
火を付けた草の上を歩くの、一瞬なら足裏の水分で耐えられるというが、それ以上はムリ。
燃えてるし。
とか、先日の日差しからはそういうレベルのムリさを感じた。
ていう理由もあるけど、こないだ帽子屋で帽子かぶってみたら、なんか良かったのです。欲しくなった。
なんかこう、夏って、服がシンプルになるじゃないですか。
サンダルとチノパンにTシャツをポンッ、みたいな。
ぼくはそこに、ビックバイパーみたいなメガネを加えて、間を埋めようとしていた。あとヒゲを生成してもみた。
間って、なんか、なんか足りないなぁ、みたいな感じのこと。
今まで帽子かぶる習慣なかった。
でも、帽子屋で帽子かぶってみると、あっ、となった。
これは! と。
間が、埋まった。
間が埋まった感があった。
今までは埋まってなかったのか、間。
ということを感じた。
我が夏のシンプルなコーディネートにおける、「なんか足りない気がするけど夏の服装ってこんなもんだろ感」を、打ち壊したのだ。
帽子が。キャスケットが。
「なんか足りない気がするけど夏の服装ってこんなもんだろ感」に目をくらまされて、そこに、あるのに観測できてなかった間に気づくことが出来たのだ。
なんか、あれですね、こう、生活してるとルーチン仕上がってくる。
買うものも食べるものも仕事も趣味も、新しいこと取り入れなくなりがちですけど、それがベストと思ってストップしがち。
でも、ふとそこに帽子や帽子的な概念を持つ要素を取り入れると、一気に視野が広がるのでは。
と思った。
透明ゆえに見えない、間、のようなものを見る目が育まれた。
そんなわくわくを帽子はくれた。
ありがとう。帽子。
買ってないけど。
ライブ行くとハツがビートし脳から素敵な液が出、結果はわあ…ってなる
ライブに良く行くようになった。
好きなバンドがいて、奥さんも同じバンドが好きで、そら一緒に盛り上がったら楽しいわ。
というだけでなく、ライブ楽しい。
好きなバンドを生で見れて、好きな音を生で聴けて、好きなバンドを好きな人ばかりで、みなさん全力で楽しもうと手を上げてジャンプして声だしてる。
大人な理性に鎧われたエモーションをバンドが何処までも引っ張り出してくれる。
余韻でしばらく日々が豊かだ。
あの、先日、フレデリックのライブ行ってきた。
心斎橋BIGCATにて開催のライブ。銘は「UMIMOYASU」。
あの、まあ、好きなんですよね、フレデリック。フレデリックというバンド。
最新のダンスロックとエイティーズ・ディスコミュージックと昭和歌謡と谷山浩子を合体させつつ、そのどれにも似てない感じの音楽を演るバンド。
で、この度のUMIMOYASUという銘のライブは、対バンライブです。
対バンライブなので、もうひと組出る。
見に行った大阪公演での対バン相手は「ポルカドットスティングレイ 」であった。
ポップでパンクな女性フロントマンを中心とした、ポップでパンクなロックバンドだ。
一度で二組のライブを楽しめるのは、すごい。
ポルカドットスティングレイのことは、数曲知ってる程度なのだけど、好きなバンドが指名しての対バンなので、そらもーなんかすごいの見せてくれるのであろうと、ハツがビート刻むに任せたら良い。
ライブ開演、先攻はポルカドットスティングレイ。
まあ、それで、案の定だった。
案の定だわ。はいはい。
これを書いてる今のぼくのスマホには、ポルカドットスティングレイが入ってる。結局、まんまと盛り上がらせしめられた。わーい!
思てたより激しい!
雫さん(Vo. & Gt)チャーミング&カッキェー。
ポルカ側のファンのレスポンスも楽しくて、グルーヴに身を委ねてたら、脳髄がじわーとハイになる。
「テレキャスターストライプ」最高。
フレデリックの「KITAKU BEATS」のカバー、パーフェクツ!
そして、後攻フレデリックの出番!
新旧織り交ぜたセットリストで、どの世代のファンも嬉しい感じ。
「トライアングルサマー」とか、好きなんですけど、ライブでは久々で、ああまだまだ演ってくれるんだ。と、顔がにやける。
「愛の迷惑」もなー、そのタイミングでぶっこんで来たらなー、それまでの疲労も吹っ飛ぶよなー。
そいで、フレデリックもポルカドットスティングレイの「テレキャスターストライプ」をカバー返し。
ドリームみが強い。
ついさっき「おお!?めっちゃかっこいいやんこの曲!」ってなったばかりのポルカの曲を好きなバンドがすぐ演る!
はわぁ……
とかまあ、いろいろ言ってますが、もう2週間経とうという今書いてるので、実はあんまし覚えてねぇ!!
覚えてねえけど、楽しくしあわせであったことは身体が覚えている。
欲しい、また、あれがもう一回欲しいよう!そしたら次も!まだまだ欲しい!
みたいな感じもありそうで、しかし、案外そこで盛り上がりきって疲労困憊だったし、そうでもない。
そうでもないけど、求めてる。
ライブ…未来…そこに向かう日々……
やー、好きなバンドがいるというのは、音楽が好きというのは、あれですね、非常に、あの、日々のイェーイとなって良いですね。
みなさんの日々にイェーイはありますか?
良かったですね。水分補給はしっかりね。
追記:
それぞれのバンドの推し楽曲貼っときます。
おれ、つけ麺でエトランゼ
めちゃくちゃ久々につけ麺を食べました。
東梅田にある「つぼや」ってとこ。
つけダレがちょっと甘くて、麺はツルツルもちもち小麦小麦で美味い。
食べ終わったあとほんのり残る舌の痺れで分かる、ほどよいスパイシー感…
「つぼや」のつけ麺美味しかったです。
「つぼや」のつけ麺美味しかったですってことを言いたいわけじゃなくてですね、なんか、こう、アレを感じた。
必然性を。
ぼくは今つけ麺を食べるべくして食べ然性を感じた。
なんか、職場に忘れ物してるのに帰宅してから気づいて、あーでもめんどいし暑いしなぁーでも明日休みだし後日に回すのも困るものだしなぁーってなって取りに戻ったんですけど、晩ご飯食べないままだったので、近くのつけ麺屋を思い出し、入った。
あれです、余計な行動なわけじゃないですか、忘れ物取りに行くのって。
でも余計な行動が意味を持った。
つけ麺が美味かったので意味を持った。
このタイミングでなければ、ごはんは家で済ませてただろうしなあ。
いや、まあ、つけ麺美味かったんですけどつけ麺美味かったっ話がしたいわけじゃなくて、こう、なんつーのか、いつもと違う行動をした。
想定内の行動パターンからちょっと出た。
場所的な話じゃない。
場所的な話じゃなく、つけ麺屋にいるとき「ここではないどこか」に居る感覚だった。
いま自分は知らない場所にいる、未知の味を体験してる、いつもと違う行動をしている。そのワクワク。冒険。刺激。
麺を咀嚼しながら、つけ汁の旨みを感じながら、チャーシュー齧りながら、そう思った。
あっこれ、つけ麺美味かったって話か。
君の中のアーマードコア
そういえば、アーマードコアなら……。
というときが日常の中で割とある。
例えば、仕事がわかってきた故に従来のやり方を改善する必要を感じたとき。
例えば、少ない予算を手に、鍋の具材をスーパーで選んでるとき。例えば、あの娘に聴かせる最強プレイリストを作っているとき。
例えば、珈琲豆のブレンドを考えて居るとき。
どのときも、やり方はいくらでもある。
チョイスは無限大。
可能性は無辺で広大。
でも、選ばねばならぬ。
備え方が無限であるように、起こる事象もまた無限。
多少傾向は読めるけど、実際どうすべきか。
そんなとき。
そういえば、アーマードコアならぼくは。
と思う。
そういえばアーマードコアならぼくは、メインウェポンをハンドマシンガンに据えた汎用性重視の中量型通常二脚を組むなあ。
と思う。
理由は、状況ごとに臨機応変に対応を変化させる余裕がないからです。
バランス型の機体なら、どんな状況にもだいたい同じ戦法でだいたい戦える。
アーマードコアを通じてそれをぼくは学んだ。
えー、まあ、あの、ゲームです。そういう。人型メカカスタマイズアクションゲームです。アーマードコアというのは。
前にハマって以来、アーマードコア的攻略法が人生のそこここで去来します。
それでですね、プレイヤーの中にはもちろん、状況ごとに全く違うパーツ構成の機体をアッセンブリして出撃する、レインボー対応できる人も居るでしょうけど、ぼくは無理だ。
それよりも完璧な一機で戦い抜きたい。
リスクの少ない装弾数の多いマシンガンを選び、マシンガンが苦手な遠距離対策には補助的に軽量ミサイルを背負い、中距離での回避力と長時間の高速移動を強いるミッションへの対策として燃費の良いブースターと平常時冷却性能の高いラジエーターを積み、機動力を損なわない重量を保ちつつ最大限の防御性能を持つ装甲を装着して、いざ、出撃して、欠点が見つかれば微調整してまた挑み、それを繰り返す。
ときにはいくらパーツを調整してもクリアできないこともある。
それでも意地で戦い抜くか、根本から機体コンセプトを見直すか…。
また、自分とまったく異なる考え方で組み上げられた機体に出会うこともあるだろう。
そんな発想もあったのかと驚く。一見無駄のようだが、絶妙なバランス感覚でパフォーマンス向上に成功してる。
……いや、そのプレイヤーが操るから出来るのか。
そうしてアーマードコア的な価値基準を研磨していく。
アーマードコア的な価値基準を研磨していくことは、日々をゆたかにする。
ぼくは、そう。
あなたの心にアーマードコアはありますか?
あなたにとってのアーマードコアはなんですか?
きっと誰もが持っていますよ。安心して。
フレデリックの新譜が出るぞ!という脳内祭り
好きなバンドの新譜が出る。
好きなバンドの新譜が出るのである。
その状態。事態。未来の明るさ。脳が開く感じ。イヤホンから奏でる音楽が通勤時間に色を与える日々。
新譜を出すってことは新譜を引っさげてライブがあるぞ。というかもうチケットは取ってある。
ワクワクする。胸が。鼓膜が。脚が。
えー、まあ、好きなんですよね。フレデリック。
明日でる。新譜。
「飄々とエモーション」。
もともとはラジオから流れて知った。
そのときは意識してなかったのに、仕事中突如、脳裏にフレデリックのメロディが去来し離れなくなった。
アルバム「オドループ」を入手して聴き込んだ。
ループする歌詞、中毒性の高いメロディ(多分、脳と身体が気持ちよくなることにめちゃくちゃ注力された音作りしている)ループする歌詞に気がついたら一日中、
“パイプの中からケムリがもくもく”
だった。
パ・イ・プ
ケ・ム・リ
パ・イ・プ
ケ・ム・リ
だった。
YouTubeにもライブ音源多数です。
なんつーか、オシャレなバンドである。
メンバーもみんなカッコいい。ライブ行ったら若い女子多い(あんがい老若男女いるが)。
ベースと作曲担当の三原康司さんは昭和の歌謡曲や70〜80年代ディスコミュージックに造詣が深く、その音はキャッチー。
なのだけど、ぼくが好きなのは取っ付きやすい面ではなく、獰猛に脳に寄生してくるところ。
イヤホンつけられなくっても仕事中でも、イヤホンから脳に寄生した悪魔がときどき袖を引っ張って心躍らせる。
音楽ってステキだなと思った。
CD買ったり音楽好きな人の気持ちを知るきっかけになった。
ボーカル三原健司さんの歌はとても聴き取りやすくって歌詞が良く耳に入ってくるのだけど、言葉遊びが過ぎるのかセンスが独特なのか、聴こえた上で???となるのも、良い。
言葉の可能性、エモい。
意味がわからんけど、意味が無いわけじゃないのも伝わるので、ふわっとしてて何度も聴ける。
そして、明日はそんなフレデリックの曲が4曲増える。また生活に色がつく。