焼いたサバとビョーク

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サバの弁当だ。
サバの弁当のときがある。
あの、仕事で、いつも弁当を持って行ってる。
妻が作ってくれる有難い糧食だ。
その弁当の具材に焼きサバが入ってることがある。
焼き魚だ。
焼き魚は強い。
そもそも魚は強い。
生で、刺身で食べた時のあの、淡白なようで、繊細に漂う甘み混じりの風味と、滑らかな食感はどうだ。
生で美味いってどういうことだ。
生で美味いもの全般に言えることだが、コラッ、どういうことだ。
美味しいままで泳いでるのか。
生きて、大海を泳いでる状態で、すでに美味しいのか。
となると、お刺身を食すとき、我々は食卓にありながら、口中の空間のみ大海に同期してることになるのか。
すげえ。
知らんけど。
すげえ。

焼き魚である。
生でも強い魚を、焼く。
焼くと美味い。
というシステムがあり、それを、魚でおこなう。
生で、強い、魚を、焼く。
さらに強い。
ベジータの見立ては甘かった。
もっとずっと強かった。
焼く。
それによる戦闘力の上昇。
暴威。
ヤバイ。

しかし魚はこの世に一種類では、無い。
生のままでも美味く、焼いたらもっと美味い魚は、一種類では、無い。
この世には、サバが、いる。
サバだ。
サバという。
サバと呼ばれる魚がいる。
サバを、焼くんだ。
よく熱したフライパンで。
網ではダメだ。
コンロがダメになる。
強すぎて。
強固なフライパン——鉄板でなくては受け止めきれない。
よく熱したフライパンで、サバを、焼く。
じゅうううう、と微細な油烈音がこだまする。
脂だ。
生きている魚は脂を持っている。
生きているから。
脂は魅惑の蜜だ。
生きるために必要だから。
その、脂を、サバは豊富に保有している。
しかも良質だ。
焼くと、脂が、じゅうううう、って、なる。
美味い脂が焼かれて跳ねる。
身に火が通り、旨味が生成される。
コンボが成立し、さらに脂がフライパン上に供給される。
じゅううううって、なる。
コンボが持続する。
着地点が見えない。
火と、脂と、魚体の、ダンス。
ダンスは、ミニマルな要素のみで構成された身体表現だが、優れたダンスには力場があり、そこに、魔術的エフェクトを発現する。
それは、焼き目。
パリッて感じになる。
魅惑のダンスは、存在しなかったはずのドレス(焼き目)をサバに纏わせるに至る。
焼き目って、良いよね。
焼けたら、弁当箱で待ち構えていたごはんに、乗せる。
NO・SE・RU。
サバをだ。
その意味。
焼き目を纏い脂あふるるサバが、ごはんの、上に、NO・RU。
「完全」である。
「完全」が、そこにあった。

 

……ありがとう。
ありがとう。
何に感謝しているのかわからない。
しかし、ただ、ありがとう、と思う。
サバは、すごいやつだ。
いま、ビョークを聴きながらこの文章を書いている。
映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」とかのビョークだ。
アイスランドのディーヴァ。
極めて実験的で神秘的な、地球のあらゆる生命の息吹を音楽で表現せしめんとする、レイキャヴィクの唄う霊獣。
ビョークの音楽を聴きながら、焼きサバを思う。
神秘だとわかる。
地球の奇跡のひとつだとわかる。
サバよ。
焼いたサバよ。
ありがとう。
ごちそうさま。