映画「パターソン」と、旅の思い出

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あのー、広島の尾道に、旧友が営む喫茶店がある。こないだ、秋、ひとり旅がてら訪ねた。
店主である友人は、いまの場所にたどり着くまで、いろんな場所で料理家をやったり執筆をしたりしていた。
で、友人は喫茶店をやりながら、今も、思い出したように散文詩のような文章(なかはらあきこ | 冬の日記)や、詩情にあふれた写真(ヘッダ画像がそれ)をアップロードしたりしていてですね、それが、すげー良い。語彙がしんでますが、彼女の文章や写真をみてそう思った、なんか良い。なんだろうこれは。

 

友人の淹れるコーヒーを飲んだとき、あと、彼女としゃべっているときも同じような感情を覚えた。
みている世界とか価値観が、少しこちらに流れ込んでくる感じ。詩人から観た世界が垣間見える。

 

この場合の詩情って、なんか、なんでしょうね、全身の感覚で感じるすべての情報や体験、そこから生まれる思考や感情みたいな膨大な要素を、作者のセンスにより言葉を用いて必要な部分だけを抽出した感じっていうか。
良い抽出がなされた表現は、気持ちいい。
自分のいきるこの世界を、誰かが詩のように凝縮されたセンテンスに巻き取って、無辺の空間に発射してくれて気持ちいい。

 

あのー、本題なんですけど、まあ、『パターソン』という映画を観ました。
お望月さんのこちらのノート(創作を続ける者に寄り添う映画「パターソン」(2016年の映画)|お望月さん|note)を読んで知り、拝見しました。

 

すげー良かった。語彙がしんでますが、なんか、すごい良かった。
で、上記のですね、尾道にいったときのこと等を思い出したんですけど。
で、映画のあらすじはこうだッッ!!!

 

 ニュージャージー州パターソンにすむバス運転手のパターソン。彼の1日は朝、隣に眠る妻ローラにキスして始まる。いつものように仕事に向かい、乗務をこなす中で、心に芽生える詩を秘密のノートに書きとめていく。帰宅して妻と夕食を取り、愛犬マーヴィンと夜の散歩。バーへ立ち寄り、1杯だけ飲んで帰宅しローラの隣で眠りにつく。そんな一見変わりのない毎日。パターソンの日々を、ユニークな人々との交流と、思いがけない出会いと共に描く、ユーモアと優しさに溢れた7日間の物語。

 

(公式サイトより引用)

 

えー、まあ、非常に穏やかな映画なんですけど、詩を愛するバス運転手パターソンさんの日常を描いた映画なんですけど、映画そのものが詩的で、穏やかな展開と映像ながら、強力にトリップした。いや、まあ本当に穏やかなんですけど、気持ち良いのだ。
主人公であるパターソンさんの感覚や価値観がみているうちにインストールされる。詩を愛する、日々を詩的にみつめる男の感性が入ってくる。

 

また、日々の中で感じたことをノートに手書きで綴るっていいよな、とか、夜いぬの散歩がてらいきつけのBARで一杯だけ飲んで帰るとかいいよな、とか思った。
ささやかな日々の中で、自分が「なんか良い」と思ったものごと対して丁寧な感じがする。丁寧だし、楽しそう。
これはすごいことだと思う。日々を愛することが出来ること、すごい。
ぼくは、まあ、別にしんどい毎日をすごしてるってわけでは全然ないけど、なんやかんや整理できてない些事により、やりたいことに時間が割けなかったり、飲み屋やカフェでひと心地つく時間が作れなかったりすること割とある。

 

詩としてみるのだ、世の中を。生活を。
詩情をもって睥睨するのだ。
情報を、生活を、タスクを、詩として抽出するのだ。
と思う。

 

で、映画を観た後、すこし、それが出来る。そういう感覚で事象を認識できる。すこし。

 

パターソンさんが教えてくれた。

 

そうしてみると、自分の日々に「詩」をみつけることが出来てくる。すこし。
そしたら、ちょっと、楽しい。


で、なんか、久々に地元の旧友と会おうかな。などと思ったのだった。