褒め、まじ、だいじ

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 大人になると、あんまし貰えなくなるものがある。もらえる人もいるんだろうけど、当たり前ではなくなる。自然にもらえることはあんまりない。
 しかし、欲しい。欲しいってか、要る。要する。喉渇いたら水を飲むように。眠たくなったら眠るように。
 それは“褒め”。褒められること。


 大人だって、いやむしろ自立してる大人ほど、要る。
 だって、あの、仕事とか大変じゃあないですか。まあ、経験と慣れで、大変じゃなくなる部分もありますけど、誰でも出来ることをやってるんじゃないはず。でも、わりと当たり前に出来るようになるので、当たり前に出来てるように見えますが、でも毎日「今日こそ急に当たり前に出来なくなるんじゃないか」って少しだけ思いながら業務開始してる。
 当たり前じゃない。褒めて! ってなる。

 

 あの、職場で褒められた。つまり、褒められて嬉しかったってだけの話なんですけど、嬉しいですよね、褒められると。おいしい。甘露。
 いや、もともと、こう、良い職場で、褒めて伸ばす社風なんですけど、仕事たてこんでると、そういう空気は薄れる。褒めを供給する機会があったとしても新人さんに回りますよね。いいんですけどね、それは、しかし、まあ、つまりぼくは渇いていた。
 体調にも影響でる。朝が起きられない、出勤の足取りが重い、眠りが浅い、とか。
 まあ、因果関係あるか不明だ! でも、最近、そんな感じだった。

 

 で、先日、仕事中に、急に呼び出された。やましいことそんない無いですが、急だったので完全にやらかしたと思ったけど、与えられたのは、渇望していた“褒め”だった。わーい。
 なんか、褒められた。なんか、ってのは、本当になんかで、あの、あるんですって、そういうの。こう、業績みたいな会社への直接的な貢献度以外の「なんか、貴方、いいね」っていうのを評価する仕組みが。
 勤務態度が良いとか欠勤しないとか挨拶ちゃんとするとか含め、なんか良い感じかつ真摯に仕事してる人、だれか一人ピックアップする時期だったらしく、それに選ばれた。へー、ってなった。
 選定に携わった複数人から真っ先にぼくの名前が出たらしい。へー。
 寝耳に水すぎて、へー、しか出ぬ。しかし、嬉しみの「へー」だ。
 ぼくのやってる当たり前はちゃんと当たり前じゃないって思ってもらえていた、ってことだ。嬉しいことだ。大人だけど、えへへ、ってなった。


 いやーありがたいですよ、日々フツーに出勤してフツーに働いてることを、ちゃんとピックアップして評価してくれるの。
 しゅー、ってなった。モチベーションが上がる音が聞こえた。それは大げさだ。でも、最近慢性的にあった、気だるさがだいぶん緩和した。褒め、まじ、だいじ。

 

 あの、これを書いてるのは、夕方、オフィス街の地下にあるドトールでして、窓辺の席から、地下街を帰宅するOLやサラリーマンが歩いている。大阪の中心なので、右からも左からも無限に歩いている。同じ人がループしてるんじゃないの、ってくらい人の往来は途切れない。
 日々はたらく人たちに、“褒め”は行き渡っているのだろうか。
 やー、なんか、大きなお世話だろうけれど、あれだ、ぼくは放っていきたい。できるだけ放っていってる。うまく言葉に出来なくても「全然うまく言えないんですけど、なんかいいっすね」って言ってる。
 言われたら嬉しいもんね。報われる。ぼくは、そう。
 言われたくない人もいるのかな。そっとしといて欲しい人とか。まあ、「大きなお世話だ!」って怒られたら、さらにもう一回くらい言ってそれでも怒られてから考えます。