濡れたいわけじゃない

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 いっつも、ぼくが餃子を焼くとフライパンにめっちゃ貼り付くんですが、あの、しっかり焦げ目つけてカリッとさせたいから、カリッとした焦げ目ついた餃子って素晴らしいからしっかり焦げ目つけようとして焼くんですけどそしたら、めっちゃ貼り付く。


 結果、お皿に盛り付けるときに、皮が破ける。泣く。デパ地下とかでちょっと良い餃子買ってきたときなどに、そうなったりするので、泣く。
 泣きませんけど、落胆する。【がっかり】のステータス異常を被っての、晩酌となる。いや、おいしいんですけどね、餃子は。ぼくは知っている。皮が破れてないほうがおいしい。


 で、フライパンにせいでは? と思ったのでフライパンを買いに行きました。道具のせいにすることで、心のバランスを取る作戦です。あわよくば、ほんとに道具のせいだったら、結果オール・ライト。皮に包まれた餃子がおうちで召せる。

 

 京都の一角、平和堂というスーパーの、フライパンコーナーのラインナップの中で、星三つ付いてるやつが良さそうだった。
 星五つまであった。三つはなかなか優秀だろう。対磨耗試験で50万回までクリアしたらしい。星一つは10万回、星二つは20万回だから、なかなかのもの。それがどれくらい強いのかわからんが。ちなみに星五つは200万回だった。すげー。なんか、すげぇ。


 で、フライパンは、まあ置いといて、まあ、そういう、生活の道具をみるのが好きで、各社企業努力でいろんな性能や特性のものがある。使ってみないとわからなかったり、使ってみてもわからんような違いかもしれないけれど、そういう「こだわり」を知るの楽しい。


 あの、バス用品コーナーが隣だったんで、用事はないけど見てた。シャワーヘッドとか、いろいろある。節水タイプとか、水の粒子がめっちゃ細かいのとか、ワイドなのとか、いろいろ。へー、いろいろなんだなーおもしろいなーと思う。
 その中で、『シャワー本来の浴び心地!』というキャッチコピーのんがあった。
 何でしょうね。『シャワー本来の浴び心地!』。本来。
 本来のシャワーとは。普段われわれが浴びるシャワーではない真のシャワーがあるのか。
 なんか、“本来”って言葉って、こう、料理とかで「北海道の大地で育った素材本来の……」とか、あとは「野山で駆け回って遊ぶのが、人間本来の本能を呼び覚まして……」とかいう感じで、由来が自然から来ているものに使われるイメージ。
 その感じで言うと、【雨】か。このシャワーヘッドが再現した【本来】というのは。
 ポメラに実装される「明鏡国語辞典」によると、

 

シャワー[shower]
[名]
じょうろ状の噴出口から水や湯を雨のように注ぎかける装置。また、その水や湯。

 

 とのことだった。ほう、やはり雨か。
 んでも、雨に降られたときに心地よく感じたこと、まあ無いですけどね。だいたい濡れたくないときに浴びるもんですし。
 でも、本当は、良いものなんでしょうか。雨って。
 我々は大人で、何者かであり、日々、服を選び、髪を整え、街へ赴き仕事したり別の大人に会ったりする。雨はそれを乱すものだ。濡れたくない。社会で生きるのに自然現象はおよびじゃない。
 ……っていうのを取っ払って、裸の気持ちで浴びたら、雨って気持ちいいのかな。そのシャワーヘッドを使ったら、バスタイムが、社会に生きる人間としての生活スケジュールのひとつとしての時間じゃなくって、ただの裸の動物になれる時間になるのかな。自然の中に戻れるのかな。
 だとしたら、なんだか、素晴らしいんじゃないか。
 素晴らしいと思いますよ、そこのアナタ!
 ぼくはフライパン買ったから帰りますね!