詩を読んでヒゲのばす

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なんか、詩ってクールだな、と。
小説のように言葉を尽くすわけでなく、
歌のようにメロディも無い。
ミニマルな言葉のみで
表現してる感じがクール。
センテンスを心に投げ込んだときの、
その波紋の重なり合いで
イメージを描画する感じがエモい。

 

あと、ぼくは、何か説明するときに、
つい余計な言葉を
足してしまうタチなので、
なおさら詩の洗練に
憧憬をおぼえます。

 

えー、それで、
先日、セレクト古書店で購入した
「詩とメルヘン」に掲載されてた、
【どこかの夕暮れの中で】という
詩が良くて。

要約すると、

 


どこかの町に「あたし」と良く似た誰かがいて、その人が「あたし」より少し綺麗な人で、「あたし」よりもっとしあわせであって欲しい。
そして同じ夜空の星を眺めていると良いな。

 

という内容の詩です。
美しくて希望があるようで、
どこか諦念も感じられ切ない。

 

でも、しかし、その「あたし」より
しあわせであって欲しい誰かは、
「あたし」自身かもしれないわけで。
「あたし」が誰かに
何かを託すように、
誰かも「あたし」に何かを
託してるのかもしれない。
願いはもう
叶っているのかも知れない。

 

こう、なんか、
「あの人みたいに
 ヒゲが似合う男になりたい」
って思っているアナタは、
実は既に「メガネが似合う男」
なのかも知れない。
「ヒゲが似合う男になりたい」
っていうのは別に、
「ヒゲが似合う男になりたい」
って意味じゃなくて、
「今より少し良い自分に変身したい」
ってことだと思うんですけども。


えー、また同時に、別の
「あの人みたいに
 メガネが似合う男になりたい」
と思っている人がいたとして、
アナタは既にその人の願いが叶って
変身した後の姿かも知れない。


アナタは既に誰かにとっての
「今より少しだけ良い自分」
かも知れない。

なら、もう叶ってる叶ってる!


「いや、でも、ホント自分なんて
 大したことなくて、
 やっぱりもっと良くなりたい」
とかいう向きもあろうが、
でもそれ言い出したら多分
どうなっても常に現状を
「自分なんて大したことないっすよ」
って捉えると思うので、
願望がループし円環は閉じられる。
願望がループし円環は閉じられるなら、ゴールと思ったときそこがゴールという
システムが使えるので、
「いまの自分、そこそこサイコー」
と、ごきげんに締めることが出来る。

 

あの、まあ、要するに結局、
いま急に思い立って
ヒゲのばしてるんですけど、ぼく。
で、これどれくらい
伸ばしたらいいもんなの?
って自分でも
わからなくなってるんですけど、
上記の詩を読んで、
結局、伸びゆくヒゲの具合の
その瞬間瞬間の味わいを
良しとすれば良いんだなぁ、
と思ったのでした。

 

そういう詩か?
いえ、その自由さが詩のクールネス!