切り取って閉じ込める

手書き日記を長いこと続けてますが、
スマホ持ってからはEvernote
日記をアップロードする時期もあった。
スマホで撮影した写真と
テキストのデジタル日記。
その日の写真付き故に
読み返したときの当時の
グルーヴの再現性高い。


この写真とか、地元の川の土手なのだけど、
こういう、
人が通ることで勝手に出来た小道いいな、
と思って撮ったのだけど、
こんなん写真添えないと
わざわざ書きのこさず
忘却の彼方に消える感情だよなー。
いや、残す必要あるのか、
と言われるとたぶん無いけれど。

やーでも、日記という、
その日のことを記録する作業で言うと、
意味の有無に関わらず、
より克明なほど良いのではないかと思う。
さっきの写真で言うと、
その写真のこちら側にはたしかに、
何てことない土手の小道をいいなと
思った自分がいる。
何てことない土手の小道など
本当に何とも思わなくなる自分に
これからなるとしたときに、
その記録は意味を持つのでは。

でも、手書きの日記も、
文字の書き方に
そのときの心のあり様が出て
好きなのよな。
両立には、
ポラロイドカメラ
チェキ、
スマホからプリントアウト、
などして、
ノートに貼り付け手書きで日記を記す。
と、良いのだろうけど面倒だ。
でも、面倒なものなのだよな。きっと。
それはもう、好き、のパワーで
駆動するならやる、で、良いね。