新年、ドウグとか自分のスタイルとかのことを考える初め!
明けましておめでとうございます!
今年も緩く、ときどき更新していきます。
今回は、ドウグとかドウグを使いこなすこととか人とかそういうようなもんのこととか。
ツイッターにつらつら書いたので、ぺたぺたしていきます。
文具を使いこなしてる人とか、将棋が趣味の人とか、コーヒーを飲まないと調子が出ない人とかに憧れを感じる。それが、流行りだからとか安直だからとかじゃなく、その人がジブンで自然にそれを必要としてるからだろう。そういうのいいなー。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2017年1月5日
文具とかでいうと、年末は日記帳どんなのにするか問題。多機能だったりカスタムできたりするのが良さげだけど、使いこなさないよなーとも思う。無理に使いこなそうとすることは「ドウグに使われる」ことになる。それはキレイじゃない。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2017年1月5日
でも憧れがあるので、気に入ったペンやノートをいろいろ買ってしまう。日記は多機能な「ほぼ日手帳」にした。ドウグに使われるのも悪くないとも思う。ドウグが見せてくれる新しい世界もきっとある。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2017年1月5日
そういえば、カフェのバイトしてたときは、ロルバーンのリングノートを多用していた。リングなので、任意のページでポケットに入れおけてアクセスが早いし、全ページにミシン目が付いてるので、スタッフで情報共有したい内容は千切って掲示できる。ああ、そのドウグの機能を自然に使っているかんじ!
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2017年1月5日
ドウグを、ハードに、自然に、必要にフィットして使いたおしたとき、後からふと、そのドウグの良さを染み染み感じるときがある。ある意味、読み物。使うことは読むこと。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2017年1月5日
いろんなドウグのそういうのを知りたい。使いこなしてる初めてわかる良さを。そこから、そのドウグの目的がわかってくるし、それを使う他のひとはどんな人だろうというのも見えてくる。ドウグは言語でもあるな。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2017年1月5日
コーヒーとか将棋とか、旅とか絵を描くこととか、それが自然に傍らにある状態って、どんな気分でそれはどんな人生なんだろうと思う。人見知りだけど、そういった、その人のすぐそばに常にあるその人のエッセンス経由でなら、人に興味がある。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2017年1月5日
なくてはならないらドウグがあることや、ドウグを使いこなすことに憧れているけど、ぼくも生命活動してるし、 #セトコーヒー なる出張コーヒー屋してるし、はたからみたら、何かのドウグ使いこなしてる人間なのかな。いいなー、と思われていたりするのか。言うてー。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2017年1月5日
出張コーヒー屋でいうと、愛用のドリップポットなぞは、その注ぎ口の細さや、900mlという容量、蓋の形状や蒸気穴の位置、持ち手のカタチなど、そのほぼ全ての機能の意味を感じることができているし、必要。うむ、ぼくの持ちキャラならぬ持ちドウグは、タカヒロのドリップポットです。アナタは!
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2017年1月5日