日記なー、という感情
来年の日記を買うんだ。
ツイッターにつらつら書いたので、
ペタペタして記事に代える!
サンデーおでかけ。日記帳を買いに行っていた。が、買わず!!まる一年間使い続けることがわかっているアイテムを、ぱっと行ってぱっと買うなど、優柔不断人間にはハードだ。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2016年12月11日
かさばらないマンスリースケジュールのみのやつ?ゆったりスペースでとりあえずメモでも日記でも何でも書ける1日1ページタイプ?あいだ取ってウィークリィ?カバーは、革?ナイロン?紙?さらに、トラベラーズノートみたいな、味ある革カバーに好きなリフィルを……というやつもある。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2016年12月11日
カバーによっては、ペン差し、ポケットの有無など機能もちがうため、アクセサリーも選ばねばならなかったり、あとスケジュールとかスピーディに書き込めるよう、ペンは日記帳専用に決めておきたいし……など、考えることが多い。そして、考えるの楽しい。ゆえに、決まらない。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2016年12月11日
文具好きあるあるだと思うのだけど、いーなーコレ!というノートやら筆記具に出会っても、「スマホあるから多分使わなくなるんだろうな。ぐぬぬ……」となる。というものがある。だんだん、スマホがこの日記帳クエストのラスボスのように思えてきた。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2016年12月11日
文具は使うのも持つのも好きだけど、スマホと日記帳/スケジュール帳という、用途がかぶるものを持つのがキレイじゃなく感じる。日本てか大阪、電源どこにでもあるから、スマホに全権与えて困らないしな……。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2016年12月11日
とかいうリクツ関係なく当たり前に、日記やスケジュール管理に物理ノート使ってるひとは、なぜ、そうしてるのか訊いてみたいものです。カラフルなペン使いたいからとか、かわいいシール貼りたいからとか、手書きじゃないと忘れるからとかかな。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2016年12月11日
日記帳しかり、道具を選ぶときって、それを使ってる未来の自分を想像するのがワクワクする。んでも、良い感じの多すぎると、増えすぎた未来の自分が、わーってきて、こまる。わーっポカポカ!いててて!みたいな。選べるというストレス!ザ・難儀!いや、おおむね楽しいッスが。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2016年12月11日
日記についてもうすこし。日記は中3くらいからずっと付けてたけど、ここ数年まとまって書かない日が増えてきた。昔の日記ほど、きっちり書いている。長く書かないことが何度かあったけど、深夜残業の仕事したときとか、最近でも出店カフェ絡みで忙しいとき書かない。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2016年12月11日
書かない期間ができてしまったのと違い、慢性的に書く頻度が減ったのは、スマホ持ち出してからか。メモツールとして買ったし、ツイッターもしょっちゅう行うようになったしなあ。もともとブログもやってたし、日常の雑感をそういろんなものに書くほど意義は感じていないし。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2016年12月11日
それでも日記帳持ちたさはある。何を書くというのか。スケジュールを持ち歩く精密機械にだけ入れとくのはやはり危険だし、昔から続けていた習慣だし、ドウグとして好きだし、とか、理由付けはできるけど、実際また習慣化できるかというと微妙。理由は意味にはなるけどモチベーションにはならない。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2016年12月11日
というか日記ってモチベーションでやるもんでもないよな。そういう向きもあるのかな。ともあれ、剥離しかかってる手書きの日記つける習慣をリスタートするには。そらもう書くことそのものを楽しめば良いよね。日記は始めた中学生のころは、文章を書くことそのものが楽しくて仕方なかったし。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2016年12月11日
書くことを楽しむ。手書きを楽しむ。最近入手したイカしたファンシー鉛筆あるし、良い鉛筆削りもある。あとは、活字中毒みたいな感じで中毒になってしまえば良い。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2016年12月11日
……と、そうまで自分を鼓舞してやるもんじゃないぜ、日記!……と、いうような日々の屁理屈を延々書き連ねてモノとして残し、後年それらを眺めてアホだなー、とニヤニヤしたい。だけかもしれぬ。
— セトシンときどきセトコーヒー (@Sin_V) 2016年12月11日