お昼寝スタイル

f:id:setosin:20161010233452j:image

のんびりには、技術がいる。

なんか休日のたびに、
今日は何して楽しんでやろうか!!
と意気込んで、
けっきょく意気込みに見合うレベルの
のんびりが出来なくて、
むぅ…こんなはずでは……
と奥歯を噛みしめる。
のんびりすることに対して
雑念があるのだきっと。
のんびりしてる間に、
他にもっとやるべきことがあるんじゃないか、とか、
この間にライバルは先をゆくぜ、とか、
この忙しない世の中でこんなに
のんびり出来てるなんて
もしかしてぼくには
存在意義が無いのでは! とか。
だからこそ、
フツウに自然に休日を
のんびり好きに過ごすひとすげぇ!
と思う。
ぼくの憧れはお昼寝なのですが、
まあそんなん、簡単に出来るのですが、
ちょこちょこ失敗します。
休日の、
「さあ余暇だぞ。なんかやれ」
という加圧が、
お昼寝を忘れさせ気がついたら夜です。
お昼寝は、
のんびり道の最初に覚える技にして
極意でもある、
なんか、正拳突きみたいなもんだ
というのは共通認識とは思いますが、
それが自然に出来る存在には、
ワンランク上さを感じます。

良いお昼寝おこなうためには。
むかしけっこう真剣に考えたんですが、
一日にこれだけのことをやる、
というタスクスケジュールを
決めたらいいんじゃないか。
もし予定していた時間より
早めに前半のタスクが片付いたら、
残りを無理やり前倒しにせず、
余った時間でお昼寝する……と。
もちろん休日のお話なので、
ここでいうタスクは、
家事をするとか友だちと遊ぶとか
ブログを書くとかだ。
しかしぼくはこの方法では
上手くお昼寝できなかった。
自分で勝手に決めたことなので、
そのときの気分で
簡単にスケジュール無視しちゃう
ということが頻発したのだ。
つまり、自分を律する
厳しい目が必要なのだ。
お昼寝とはストイックな競技である。

休日じゃなければ、
お昼寝を取り入れられてるのにな。
仕事のお昼休みに
仮眠するのが日課なので。
しこたま休息とることに
罪悪感ないものな。仕事のある日は。

罪悪感てなんだ。なんの罪か。
でも、同じように、
のんびりに罪悪感を感じるひとは
多いのでは。
あんがい、
幸せの形はここにあるのではないか。
想像してみてほしい。
なんという、
昼下がりの公園の木陰で
親子そろって昼寝する様の
なぐりつけんばかりの朗らかさか!
楽器とかあたらしいなんかを
習熟したかったけど、
よし、お昼寝を身につけるぞ!

レッツ・おやすみなさいだ!!
おやすみなさい!!!