Tは魂のT

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神戸・三ノ宮駅の高架沿いに、

手づくりTシャツショップがあった。

店主自らデザイン、プリントまで行った

作品たちが並んでいる。

テイスト的には、

アメカジ調のグラフィックやタイポを

ベースがベース。

そこに神戸ならではの名物を

デザインとして落とし込んでいる。

 

Tシャツは好きなので、

店頭から伺える商品のデザインの好みよりもむしろ、

店主自らデザインしたTのみのお店、であることに

魅力を感じた。

 

入ってみて、陳列されたTを、

まるでCD屋で琴線を震わせるジャケットとの出会いを求めて

棚を掘り進んでいくように、

次々物色していく。

 

残念ながらビートが共振するTには

出会えず、そのまま店を出たが、

ふと思う。

店主が自ら「このグラフィックはイカしてる」と考え

具現化した権化たるTは、きっと、有る意味では、

店主の魂の欠片をたたえた聖杯であろう。

それをみた客はしかし、軽く物色しただけで去っていったりもする

このときの店主の心情はいかなるものか。

 

これは店主への同情とか、

早々店を出た自分への罪悪感のはなしではないです。

単なるTシャツに、衣料以上の、

アート性を感じたということです。

だからこそ、ハートに響くかどうか、

がより重要視される。

「コーディネート的にアリか否か」という価値観は、

店主のTとぼくのアンテナとの間に交わされる

電撃のやりとりの余波で灰となる。

 

結果、ぼくは、ちょっと違うかな、となったのだけど、

残る余韻は、

好みの合わない店に入ってしまったがっかり感ではなく、

街角に、Tシャツというカジュアルな媒体をつかって

魂を込めたアートをやる店があったということに対する、

嬉しさだった。

 

たぶんまた、三ノ宮に行ったら、

好みのTは無いかもしれないと思いながらも、

この店に立ち寄るような気がする。

店主がつくったTから、

なんらかの魂の振動を感じるために。

 

という、冷やかし客ばかりでは、

お店は成り立たないと思うので、

好みじゃない言いつつなんか感じたんなら

買いましょう。あなた。

ぼくか。