ここで言うならず者というのはあくまでも例えなので本当にスジを通さぬ無粋ガイズという意味ではないのですがあの

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こう、仕事でなんか、新人3人の真ん中にぼくが陣取り、新人さんがわからないことがあったら即座に答えるみたいな役割をやった。
答えるってかホワイトボードにポイントを書いて指示するみたいな。
これがめちゃめちゃ面白い。三者三様の状況を並列処理するので、脳に、クる。
なんでしょうね、うまくやれてるときは、囲まれて次々斬りかかってくるならず者を、いなし、崩し、斬り伏せる、なんか、殺陣(たて)めいた痛快さがある。
しかし、だんだん疲れてきて、集中力きれてくると、こう、いなしたつもりが足がもつれていっしょに倒れこんだり、崩しからの払い斬りがキマったと思ったら技が浅くて、あれっとかやってる内に後ろから別のやつがもう斬りかかってきててあわわもう〜やめろやぁ〜とかなりつつ凌いでいく感じでばたばたする。
たぶん慣れてくると、襲いかかってくるならず者の急所や隙を一目で見抜き、攻撃を“置く”ような感覚で効率よく斬り伏せていけるのではないかと思うし、そういうふうな先輩もいる。
そこまでいくと、こう、あくまでもこの職場のみで、しかも一部の業務でのみ役立つニッチなスキルではあるけれども、ひとつの“境地”であることには変わりなく、自分や自分の人生の実績に“境地”がアンロックされるのは面白き気分になりますね。
現状としては、ホワイトボードに書くぼくの字がきたなすぎて、相手の新人さんが眉根を寄せがちなので、“境地”もくそもねぇ!

えっ? ああキミか……フフッてなった話

「喫茶 路地」さんでブラジル トミオフクダを飲りつつ、こう、なんか書こうと思いなんか書いてます。珈琲の香りの誘うままに。

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社交性ってありますか。

ある、と言える人は少ないでしょう。

人類みな人見知り。権謀術数の生存戦略をバトルすコロッセオが社会、人を見知らず生きてたら一瞬で塩の柱と化すでしょうから。

いや、あれです、あの、みなさん割と人見知りですよねーという話で。
このあと、なんか、だらだら書きますけど、要は、「えっ? ああキミか。……フフッ」ってなったってだけの話しなんですけど、ぼくもそうなのですが、人見知りなのですが、言っておくが、ぼくの人への見知りはそこらの人の人への見知りの比でないくらい人を見知りますよ。
思春期ごろからクラスの喋ったこと無い人や喋ったことあったり以前仲よかったけど久しく喋って無い人には喋りかけるのに相当なマインドセットを要し、マインドをセットし終えていざアクション(話しかける)実行を決意しても、今度は実際に実行することにまたマインドをセットる必要があり、言うてる間に終礼のチャイムが鳴ります。
そういう感じは、今もだ!
終礼のチャイムが終業の打刻に変わっただけ。
何が言いたいかというと、何か言いたいことがあって書いてるわけではないですけど、あの、まあ、こないだ職場で、「セトさん、こないだえらい遅くまで残業してましたね」と話しかけられたんですけど、相手は、いぜん新人研修的なやつでぼくが見てた後輩で、研修空けてからはほとんど話したことない人だったんですけど、なんか話しかけられた。
内容はまあ、仕事の話で「あー、そうそう。帰れると思ったら**の対応に発展して〜」「そうなんですね。僕もその日**で遅くなっちゃってて〜」とか他愛ない話しだったんですけど、ぼくなら、逆の立場の場合、話しかけないなーと思って、話したことある相手にはすべからくまた話しかけたいんですけど、上記マインドセット・イズ・大義状態に陥って話しかけないなーと思って、んでも、後輩は話しかけた。
これは凄いことだ。凄い嬉しい。ぼくなぞに話しかけるのに、人類みな人見知りなのに、後輩は多重マインドセットの手順を実施したのか。実施した上で話しかけたのか。実施するに足ると判断してくれたのか、ぼくに対して——というわけでは多分なく、多分その人はぼくよりかは社交的なのだと思った。社交性すげー。ぼくが相当な距離の助走を必要とするハードルを、タタンッと軽快に飛び越える。神龍に願い事するとしたら「社交性をおくれ!」だ。
ただまー、ワー(社交性)ワー(社交性)いうてますが、後輩も人見知りマックスのアカチャンから始まり、トライ&エラーを繰り返しながら、ぼくに話しかけるに至ったのであろうと思うので、まあ、思うので、ぼくも今からでもナンヤ&カンヤして社交の助走を短くしていきたいものですね。

 

まあ、なんかそういう、要は、話しかけられて嬉しかった話しでした。

帰省・気のせい・タイムスリップ

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平日帰省するとお昼過ぎはだいたい「ちちんぷいぷい」を見て過ごすことになりがちじゃないですかあ。
たむけんの「学校に行こっ」のコーナーで、現役高校生で演歌歌手デビューした生徒とかF1レーサー目指すカート乗りとか、そんな派手じゃなくても何かを目指す学生たちを見てると、30過ぎてぼくはずいぶん身動きが取れなくなったなあとか何かを目指すには遅いし目指してもそれに割く時間も体力も根気もないんだよなーとかそういうことをまあ別にあまり思わなくて、いーなーぼくもいろいろやってみたいなーっとなる。
子ども時代を過ごした実家だから無邪気にそう思うのかどうかはわからぬけど、無邪気にそう思う。
例えば高校って3年。大学で4年。いろいろ興味を広げたり、これと決めた何かを追求していったりする。
たぶんまだこれから7年は生きていくはずなので、まだ何者にもなれていなくてもまだ何者にでもなれる。何でも挑戦できる。

それとは別に実家のまわりには、長く続いてる店とかの景色が沢山ある。あの店子どものころからずっとあるな!という店。
そういうの見ると、いろんなことに挑戦するのも良いけど、ひとつのことを何年も飽きずに続けていくのも良いなあと思う。

漠然としてるな!
まあ、こたつでふにゃふにゃしたのでこんなもんか。

(写真は、実家の犬っぽいものと地元の駅です。)

手帳クエスト〜あふるる物欲と恋の闖入者〜

来年の手帳をどうしよう?
手帳、悩みますか? アナタ。
いやー、まあ、スケジュールが書ければ何でもいいわけである。
カレンダーとメモが有れば。でも、悩む。
そらまー用途の決まった道具とはいえ、そらーカワイイのやオシャレなのやシヴいのが良い。
と、思って、我が琴線のうち良い文具からの刺激でのみ振動する弦に耳を澄ませるのですが、この世の手帳が全て集まる黄色い桃源郷(ロフト)とか行くと、琴線が鳴ってしゃーないです。
どれもこれもカワイイ。オシャレ。シヴい。無論使いやすそうだ。
決められないので、ぼくなりの用途や持ち歩くシチュエーションとかでフィルタリングかけてみても、全然絞れない。
そうして1ヶ月が経ち、選択肢が吟味で磨耗して、どれが何で良いと思ったのかわからなくなってきます。なのに、物欲だけかは膨れ上がり、ハードルは青天井に高くなる。
選択肢をリセットとして、別の目線で選びなおすんですが、新たに気になったあの子に対してしかし過去の初恋の相手の面影が浮かんでああ結局ぼくはあの子のことがまだ好きなのではないかこの気持ちに嘘をついて敢えて別の子を選ぶ意味とは何かいやいやだからそこに立ち戻ってしまうとまた堂々巡りになるから過去は無いものとして考えないとキリがなくなるではないかと理屈ではわかるけどそんな人生楽しいか生きたって言えるかゾンビかお前はとかはさすがに言い過ぎで良いじゃないか今気になる子がホットじゃないか時間は不可逆で現在だけが確かだしその現在のぼくがホットなフィーリングを覚えることこそが真実として揺るぎなく良しもう悩まない今を生きてるぼくは今を生きると決めたので過去はうっちゃって今ぼくの琴線をゆらすキミに決めようかなどうしようかな初恋のあの子は今ごろどうしてるかな元気して——といったところで突如現れた転校生にズキュンとやられ告白(レジで支払い)したその相手がコチラ!

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#ペンコ #penco #ノートフォリオ #スケジュールブック #日記 #手帳 #ダイアリー #hightide

いま梅田ロフトでやってる展に回顧するメモリー・オブ・ガンプラ

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梅田ロフトで、ガンダムプラモデルの展が催されていた。
名うてのビルダー(プラモデルを作る人)が組み上げ、塗装/加工したガンプラが展示してあり、精緻な技巧に、汚しやダメージ加工から伝わる臨場感に、震えた。
いや、なんか、来年の手帳なー、とか思ってふらりとロフトに立ち寄るとやってたのですよ。展。
わぁ!となった。
ぼくも昔はガンプラ嗜んでました。
主にBB戦士(ディフォルメされた二頭身のやつ)の武者頑駄無(ムシャガンダム)シリーズをやってました。
初めて作るまでは、友だちが作ってるの見ても何が楽しいかわからなかったですけど、やってみると、ヤベーってなる。
キットを組み立てるの楽しぃえー!
立体パズル的な楽しさ、組み上がるのはカッコカワイイBB戦士という高揚感。
いろんなガンプラのパーツを組み合わせて、「おれの考えた最強のBB戦士」を作ったりとかして、SNSとか無かったですけど、ひとり越に入っていた。ときどきは友だちに見せたりもした。
新製品の発売と聞けば近所の模型屋に予約しにいったり、相当ワクついてた。
今思えばあれが、ナニカを作る楽しさを知る原体験だったんじゃないかなあ。
ガンプラが、ぼくのナニカを作る楽しさを知る原体験だったんじゃないかなあということは、鬼ほどどうでもよすぎてヤカンがピーーてなりそうですが、ガンプラは、楽しい。
ホビーショップなら割とどこでも売ってるので、ふらりと立ち寄りパッケージ絵をいろいろ見ると良い。
心のどこかがバイブレーションするパッケ絵がきっとあるはず。そしたら、あれだ!
バイ・アンド・ビルド!!
わーい!^ ^v

(絵は初めて組み立てたガンプラです。)

ロードバイク・イン・ザ・日常

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普段使いのチャリが相当ガタが来たので、日常の足にロードバイクを多用するようになりました。
7年くらい前に買って月一回くらいしか乗ってなかったけど、気軽に乗るようになると気軽に乗ろうと思えるもんですね。
んで、やっぱ良い。
ロードバイク
何が良いかと言うとですね、ペダルを漕ぐと漕いだだけ進むんですよ!
……いや、えーと、そうですね、こう、アレです、ペダルを漕ぐと、クランクが回転しチェーンを噛んで、ちからが後輪のギアに伝わり、タイヤが回って、地面を掴み、推進力に変わって、前に進むじゃないですかあ。
様々なパーツやちからのベクトルが関わって最終的に、進む、と。
要素が多いほど、パワーロスがあるもんなのですが、ロードバイクはそれが最小になるように設計されている。
本当はペダルを漕ぐちからが推進力に変わるまで色んな要素が挟まってるはずなのに、そんなことを感じさせないで、漕いだら、進んだ、と感じるわけで、これは気持ち良い。
最初は、まあ、過度な前傾姿勢とか硬いサドルとか、レスポンス良すぎなハンドリングとかで乗りにくさとか疲れやすさとか感じるかもなんですが、本来合理的なカタチなので、慣れるとパシッとハマる。ロードバイクと身体が。
きっとそうなる予感がする。いや、まだ頻繁に乗るようになって間もないので、わからんですが。きっと。
えー、まあ、とかなんとか言ってますがそういうのは今考えたリクツで本当はカッコいい!!ってだけだ!!!
ロードバイク、カッコいい!
あの、ほら、さっ!と跨って、シャーー!!
風、気持ちいい!かっ飛ぶ地面!ギアチェンジしたら足元でカシャってメカが仕事しててヤバい!!
ヒュー!
……はい。

正しく胸に響く焼き鳥屋の人にどう思われるか

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近所にめたくそ美味い焼き鳥屋があってですね、こう、カウンターのみの構成なのに、狭苦しくない感じとか、店主が若き二代目のさわやかガイで焼きのワザが間近に見れる感じとか、ホール担当の初代がおもいっくそひょうきんなおっちゃんでほっこりする感じとか、生中300円なとことか、塩焼きメインの焼き鳥がシンプルなのに何で!?ってくらい美味くてビールが進む感じとかいろいろ最高なのですが、なんか、わりと、近所がゆえか、休みの日の昼間とかに外で出くわす。店の方に。

買い出しとかかな。昼間出くわす率まあまあ高めなので、なんか、すごいヒマなやつと思われてはいまいかと心配になります。
まあ、すごいヒマなときに限って出くわすので、いいんですけど。
あと、初代、二代目どちらに出くわしても、すごいほがらかに挨拶してくださるのステキ。
いや、その店にはしょっちゅう行ってるんですが、別に店の人と話したりはしてないんですよ。
なのに外でも挨拶してくれる。
人見知り資格保持者の我の場合、立場が逆なら外でお客さん見つけてもスルーすると思う。いやわからんけど。
いやまあ、なので、すごいなあ。なんか。

なんか、さわやかに挨拶されたし夜呑みにいこうかなってなりますもんね。
焼き鳥屋って奥が深いな。

焼きのワザだけではないいろんな要素で、相手をしあわせにせしめてきよる。

ぼくの親も焼き鳥屋でしたが、改めて思う。
なんか、まあ、いつだって、最高な焼き鳥屋さんの前では、人は、単なるヒマでしあわせになってるヤツになってしまうなあ。
良き良き。
あと、ポテサラめっちゃ美味い。