ひとり焼肉、酒と本

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 どうですか。ハナ金。
 休み前の夜。たのしい夜。
 まあ仕事はいろいろで、土日が休みと限らないかも知れませんが、なんだか楽しい週末でしょうか。世間が週末気分だ。と、自分もそんな気分になってくる。
 ぼくは、まあ、今日、金曜日は休みなんですけど明日は仕事だ。しかし、飲み屋街の一角に住んでいるからか、なんだか、ハナ金な気分です。
 世間でいうとことの日曜夜的なバイオリズムなはずですがそうはならず、ハナ金気分。お得です、飲み屋街住まい。
 なにせいつでも、ほろ酔い(あるいはへべれけ)で幸せそうな人たちが歩いている。ごきげんじゃないか。
 ぼくも飲みにでかけざるを得ない。奥さん用事で今夜家にいないし、景気よく飲みにでかけざるを得ない。

 

 ひとり飲み。どうですか。ひとりで飲むというおこない。ぼくはあんまししない。なんか、あの、わからん。いや、ひとりで飲み屋にいくのに抵抗あるとかじゃない。それは、店によるので、ひとりで行っても居心地良い店ってあるので、それはいいんですけど、あの、ひとりで飲んでるときに何してたらいいのかわからん。
 友だちがやってる店とかもあるけど、それはひとり飲みとはちょっと違う。本当にひとりで飲むとき。
 やー、なんか、まあ、スマホとかいじりながら飲むのが自然な風景な気はしている。じっさいそういう風景はよく見かける。それも良い。
 あとなんだろ。店の人と喋る。文庫本よむ。雑誌よむ。飲み食いに集中する。ぼーっとする。
 こんなところか。
 良いんですけどね。でも、なんか、基本的に外呑みのときは、奥さんとか誰かと行くのが常なので、おしゃべりしながら、こう、乾杯しながら「たまらんね」「たまらんな」とか言いながら呑むのが好きなので、ひとり呑みのときの居住まいに、こう、必然性という名のイグニッションをうまくイメージできず、あぐねる。ひとりのみをしあるねる。
 という、ここまではあれです。アタマで考えたリクツに過ぎず、「やってみたら、なんか良かった」という限りなくソリッドな結果によって、いともたやすく、綿菓子のように溶けて消えるものなのだ。そういうリクツは。

 

 あの、さっきひとり呑みしてきて、すげー楽しかった。良い気分になった。
 奥さんが用事でいないので、とはいえ、街はハナ金で楽しそうだしなーという、弱き理由をガソリンに、ちょっと気になってた近所のひとり呑みしやすそな焼き肉屋にいってみた。
 あの、カウンター席があってそこにひとつひとつコンロと焼き網と煙吸うやつがついてるのだ。しかも「ほろ酔いセット」なるメニューがあって、あの、つまり「生ビール、ハラミ、てっちゃん、キャベツ」で890円という、メニューがあって、ざるを得ない。えっめっちゃええやん、という感情を抱かざるを得ないです。こまる。強い。強くてこます。コナミコマンドか。グラディウス的にいうとオプション、レーザー、バリアにスピード、ミサイル付きみたいなことで、強い。
 おこなった。なので、おこないました。今日はそこでその「ほろ良いセット」をおこないました。
 あの、なんか、たぶんすごい一人焼き肉を推奨してる店なんだろうなあ、という感じでぼくもカウンター座ったんですけど、まわりもほぼひとり焼き肉。仕事終わりかな。慣れた様子で注文して焼いて呑んで、すごしてる。いいな。
 で、注文がタッチパネルなのも良い。そんな大きな店じゃないんですけど、あえてのタッチパネルなのも良い。集中できる。ひとりに。ひとりで、焼き、食み、呑むことに。「マグ……いや、タマゴだ」とか迷ってもいい。自由。
 んで、まあ、ほろ酔いセットで、ほろ良いを進行していく。
 ハラミを焼き、頃合いに、食み、ビールで流し込む。ふだん牛肉とかあんまし食べないし、あの、スペシャルな夜な感じが高まる。儀~。
 儀です。これは。炎、焼き肉、ビール。儀式である。
 焼いた牛肉と生ビール、そして炎の熱気というRIALが、「ひとり呑みがわからない」という理性にTNTを仕掛け、ぼくの中の工員がスイッチを押しエクスプロードした。OISHIIKARANANDEMOII。そういう轟音とともに爆発した。

 

 とはいえ、前述した、ひとり呑みのとき何してたらいいかわからない、という問題には、対策を建てた上で来店した。
 ぼくには、お酒と本を愛する奥さんが居おり、我が家の本棚には、平松洋子久住昌之のエッセイの文庫がある。この中から、まさにドンピシャな「ひとり飲み酒 肴かな」(著:久住昌之)をもって行った。
 肉を焼き、本を読み、肉を食べてビール飲んでキャベツ食べて、本を読んだ。せわしないな。せわしなかった。
 本の内容はめっちゃ合う。孤独のグルメでおなじみの著者のひとり呑みエッセイだ。合わないわけない。でも、飲み食いしつつ読書ってせわしない。
 あの、ぼくお箸は左利きなんですよね。でも、ビール飲んだり、文庫本もつのは右手なんですよね。なので、両の手の役割分担と、肉、ジョッキ、トング、キャベツとかの配置が大事。肉が焼ける間に、フォーメーションを探る。本に集中できる比重で組むと、お箸をつかう方に食材はあつまる。ビールは本と同じ右にもってくる。いや、正直、お箸以外、両手どっちでも良い。利き手じゃないとジョッキ持てないとかないし。でもどっちがスムーズか、どっちか無心に呑みを楽しめるか、を、探る。というか、こういうのも、なんか楽しい。たぶん、こういうフォーメーションは店ごとに最適解はかわるだろう。パズルのよう。楽しい。
 で、まあ、フォーメーションも決まると、読書焼き肉がすすんでゆく。で、結局酔ってくると、なんか慣れてきたのかあんまし考えなく成ってきたのか、本は両手どっちも、都合の良い方の手でもつようになり、空いた手で肉を焼きビールを呑んだ。
 やはり、こう、RIALが、C4でリクツを爆破した。
 そうして、小さな酒宴もたけなわだ。2杯目は、エッセイに書いてたので、焼酎ロックだ。牛レバーとのマリアージュ。良い冬の夜……愛慕〈エモ〉……。

 

 結局、追加注文とかして、しっかり満足したわけですが、それでも2000円ちょいです。なんかすげー「食べログ」めいた感じですが、そういえば店名一回も書いてない。「こいろり」だ。大阪・天満の「こいろり」。
 しかしそういうことが言いたいんじゃない。その店はすげー良かったがその店が良かったってことが言いたいんじゃない。主題じゃない。なんか、こう、おとなにとって娯楽は多くないと思っていて、いや、娯楽の種類はめっちゃあるんですけど、なんか、いろいろ考えちゃって、素直に楽しめないというのを差し引くと、娯楽は多くないと思っていて。
 しかし、そんな中に、ひとり呑みはいかが? という話だ。映画、まんが、ゲーム、フットサル、カラオケ。娯楽はいろいろあるけど、なんか、ひとり呑みも良かった。本よみながら飲み食い、案外たのしいし、こう、フォーメーション的にもあんまし困らなかった。
 あの、最近「錆喰いビスコ」というハイボルテージなラノベ読んでまして、そういうの読みながらも良いなと思った。ひとり呑みのエッセイも良いが、そうでなくても良い。ぼくは、今、たのしい。
 おとなが、ひとりの時間の使い方において、「完成した」と評せることは多くないのではないか。しかし、今宵は完成した。ひとりだけれど、良い夜です。
 ハナ金。明日は仕事だけど、束の間でもこんな気分になれる。


 まあ、なんでもいいんですけどね。とも思う。楽しい気分になれるなら。これ読んでるあなたが、ハナ金でもそうじゃなくても、なんかわるくない気分でいるのなら。
 ひとりだけど、ほろ酔いだけがアクセス権限もつ次元から、そんなことを思ってます。未来は今は置いといて、良い夜を!

 

#雑記 #日記 #随想 #うそめがね日記 #こいろり #ひとり呑み #ひとり飲み #ひとり焼き肉 #ハナ金 #焼き肉

シャッター閉まるとひらくドア

三和シャッターのロゴがカワイイって話を奥さんにしててですね、こう、「三和」の「和」の字の一部がね、シャッターのロール部の形になってる。

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なんか今朝、奥さんの人と近所を散歩してて、まあ早朝なので、商店街の店はまだ開いてない。
シャッターたくさんあるぞう!
見てると、三和シャッターたくさんある。あのロゴのんもある。
でも、ロゴふたパターンあるんだ。

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あれかな、ロゴ刷新するタイミングがあって、その前後により別れるのかな。新旧が。
とか、興味深くみてると、ダイワシャッターも多かったなー。

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でもやっぱり8割くらいは三和シャッターだった。
あれですかね、各社違いがなんかあるんだろなー。機構の違いとか、メンテやらアフターケアの手厚さとか、種類の豊富さとか。
そういう機微に思いを巡らすのも楽しい。


あの、まあドウグフェチなので、自分、こう、ひとつの用途に特化した必然的なデザインとか、ある仕事をしてる人が愛用するその人にとってのそうでなきゃいけないってデザインとか、好き。
なんで、その形になったんだろうとか、なんでそれを愛用するに至ったんだろうとかの思索・イズ・わくわく。


それは、こう、町にも言える。朝の商店街の風景におけるシャッターは、町のドウグだ。
とか、そんな話をしていて、奥さんが

「他の県だとこの会社のシャッターが多い、とか、そういう分布が気になるね」

って。
フムー。その見解は無かった。他府県における布武。


ってか、我ながらニッチな話してると思うんだけど、よく興味もってくれたな!
きくと、

「お散歩とか商店街は好きやけど、早朝だったり寂れてたりでシャッター閉まってる風景って寂しいなって思ってて、でもシャッターに着目したら、寂しい風景もなんか意味が見つかっておもしろい」

と。
それは、なんか、せやな!
閉まってることで現れる魅力もある。


時間限定で現れるインタラスティング。
そう、着目のピントを変えれば、無限に味がする。

まちの、おさんぽの可能性は、無限!

 

 

そのストリームは辛丹波

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いや、あの、「辛丹波」という酒への、畏怖。
丹波って清酒があってですね、すげえなあという、そういう絵ですね。
絵ってか、落書きか。まあ。
うちのカレンダーは去年から画用紙カレンダーを採用している。
下半分がスケジュールとか書き込めるカレンダー。上半分の、フツウは、世界の絶景とかネコちゃんとかが入る部分が無地になっており、好きになんか書ける。あるいは、描ける。
ぼくと妻は、なんか印象的な出来事があったら、えんぴつで絵を描くようにしてる。
ただまあ、去年一年間このカレンダー使ってみたけど、途中ちょっとめんどくさくなったりもする。よほどのことが無いと、描き込まなくなってくる。
よほど。よほどとは何か。冠婚葬祭か、泊まりがけで旅行とか行くことか、奮発して高級ディナー食うことか、道ばたでネコをもふもふ出来ることか。よほどとは何か。
それは人それぞれである。当たり前のことを言っているが、人それぞれである。
いや、このように文章をわざわざ書くこともよほどっちゃよほどですけど、こう、日々目につくとこに掲示せしカレンダーに描き表すほどの事象ってなると、我が家としてはけっこうな「よほど」なのであるが、辛丹波という酒への畏怖が、まあ、そう。

 

いや、ほら、お正月である。あっ、あけましておめでとうございます。いや、いいんですけど、まあ、謹賀っちゃ謹賀なんですけど、それはまあよくて、あの、妻の実家に顔を出す。【妻の実家に顔を出す】をおこなう。それがお正月。
それがお正月なので【妻の実家に顔を出す】を、おこなったのですけど、中心には辛丹波があった。
清酒である。由来や来歴は知らない。しかし酒豪であらせられるお義父さまが愛飲する逸品である。パック酒なんですけどね、いや、瓶でもあるみたいですが、お義父さま曰く、酒屋にいけば大体手に入るが飲みやすくて旨い良酒である、と。
たしかに、飲みやすい。主張は強くなく、ほのかな甘みは感じられ、妻の実家謹製のおせちを引き立てる。
いや、それはいいんですけどね、おせちめっちゃすすんで、腹一杯食べましたけど、それはいいんですけど、こう、食卓の中心にそれはあった。辛丹波があった。
妻の実家に顔を出して、食卓をかこみ、ぼくと妻と義父と義母と義兄と義祖母が、いる。たまーに老ネコ様も声だけ参加する。ぼくはちょっと緊張している。仲がどうとかではない。【人見知り】スキルを安定して発動しているだけだ。
しかしお義父さまがよい塩梅で辛丹波を注いでくださる。次第に緊張がゆるむ。ほがらかな気分になってくる。妻の家族の会話のメイルシュトレエムに、ぼくも飛び込み潮流の一部となる。
お正月。お正月が、そこには、ある。
ぼくと、妻の家族、おせちに会話に笑い声、そして辛丹波が、そこにある。
酔ったぁー。帰ってめっちゃ寝た。あんがい翌朝のこらなかった。
あとを濁さない、優秀、辛丹波

 

今年もよろしくお願いします。

焼いたサバとビョーク

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サバの弁当だ。
サバの弁当のときがある。
あの、仕事で、いつも弁当を持って行ってる。
妻が作ってくれる有難い糧食だ。
その弁当の具材に焼きサバが入ってることがある。
焼き魚だ。
焼き魚は強い。
そもそも魚は強い。
生で、刺身で食べた時のあの、淡白なようで、繊細に漂う甘み混じりの風味と、滑らかな食感はどうだ。
生で美味いってどういうことだ。
生で美味いもの全般に言えることだが、コラッ、どういうことだ。
美味しいままで泳いでるのか。
生きて、大海を泳いでる状態で、すでに美味しいのか。
となると、お刺身を食すとき、我々は食卓にありながら、口中の空間のみ大海に同期してることになるのか。
すげえ。
知らんけど。
すげえ。

焼き魚である。
生でも強い魚を、焼く。
焼くと美味い。
というシステムがあり、それを、魚でおこなう。
生で、強い、魚を、焼く。
さらに強い。
ベジータの見立ては甘かった。
もっとずっと強かった。
焼く。
それによる戦闘力の上昇。
暴威。
ヤバイ。

しかし魚はこの世に一種類では、無い。
生のままでも美味く、焼いたらもっと美味い魚は、一種類では、無い。
この世には、サバが、いる。
サバだ。
サバという。
サバと呼ばれる魚がいる。
サバを、焼くんだ。
よく熱したフライパンで。
網ではダメだ。
コンロがダメになる。
強すぎて。
強固なフライパン——鉄板でなくては受け止めきれない。
よく熱したフライパンで、サバを、焼く。
じゅうううう、と微細な油烈音がこだまする。
脂だ。
生きている魚は脂を持っている。
生きているから。
脂は魅惑の蜜だ。
生きるために必要だから。
その、脂を、サバは豊富に保有している。
しかも良質だ。
焼くと、脂が、じゅうううう、って、なる。
美味い脂が焼かれて跳ねる。
身に火が通り、旨味が生成される。
コンボが成立し、さらに脂がフライパン上に供給される。
じゅううううって、なる。
コンボが持続する。
着地点が見えない。
火と、脂と、魚体の、ダンス。
ダンスは、ミニマルな要素のみで構成された身体表現だが、優れたダンスには力場があり、そこに、魔術的エフェクトを発現する。
それは、焼き目。
パリッて感じになる。
魅惑のダンスは、存在しなかったはずのドレス(焼き目)をサバに纏わせるに至る。
焼き目って、良いよね。
焼けたら、弁当箱で待ち構えていたごはんに、乗せる。
NO・SE・RU。
サバをだ。
その意味。
焼き目を纏い脂あふるるサバが、ごはんの、上に、NO・RU。
「完全」である。
「完全」が、そこにあった。

 

……ありがとう。
ありがとう。
何に感謝しているのかわからない。
しかし、ただ、ありがとう、と思う。
サバは、すごいやつだ。
いま、ビョークを聴きながらこの文章を書いている。
映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」とかのビョークだ。
アイスランドのディーヴァ。
極めて実験的で神秘的な、地球のあらゆる生命の息吹を音楽で表現せしめんとする、レイキャヴィクの唄う霊獣。
ビョークの音楽を聴きながら、焼きサバを思う。
神秘だとわかる。
地球の奇跡のひとつだとわかる。
サバよ。
焼いたサバよ。
ありがとう。
ごちそうさま。

映画「パターソン」と、旅の思い出

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あのー、広島の尾道に、旧友が営む喫茶店がある。こないだ、秋、ひとり旅がてら訪ねた。
店主である友人は、いまの場所にたどり着くまで、いろんな場所で料理家をやったり執筆をしたりしていた。
で、友人は喫茶店をやりながら、今も、思い出したように散文詩のような文章(なかはらあきこ | 冬の日記)や、詩情にあふれた写真(ヘッダ画像がそれ)をアップロードしたりしていてですね、それが、すげー良い。語彙がしんでますが、彼女の文章や写真をみてそう思った、なんか良い。なんだろうこれは。

 

友人の淹れるコーヒーを飲んだとき、あと、彼女としゃべっているときも同じような感情を覚えた。
みている世界とか価値観が、少しこちらに流れ込んでくる感じ。詩人から観た世界が垣間見える。

 

この場合の詩情って、なんか、なんでしょうね、全身の感覚で感じるすべての情報や体験、そこから生まれる思考や感情みたいな膨大な要素を、作者のセンスにより言葉を用いて必要な部分だけを抽出した感じっていうか。
良い抽出がなされた表現は、気持ちいい。
自分のいきるこの世界を、誰かが詩のように凝縮されたセンテンスに巻き取って、無辺の空間に発射してくれて気持ちいい。

 

あのー、本題なんですけど、まあ、『パターソン』という映画を観ました。
お望月さんのこちらのノート(創作を続ける者に寄り添う映画「パターソン」(2016年の映画)|お望月さん|note)を読んで知り、拝見しました。

 

すげー良かった。語彙がしんでますが、なんか、すごい良かった。
で、上記のですね、尾道にいったときのこと等を思い出したんですけど。
で、映画のあらすじはこうだッッ!!!

 

 ニュージャージー州パターソンにすむバス運転手のパターソン。彼の1日は朝、隣に眠る妻ローラにキスして始まる。いつものように仕事に向かい、乗務をこなす中で、心に芽生える詩を秘密のノートに書きとめていく。帰宅して妻と夕食を取り、愛犬マーヴィンと夜の散歩。バーへ立ち寄り、1杯だけ飲んで帰宅しローラの隣で眠りにつく。そんな一見変わりのない毎日。パターソンの日々を、ユニークな人々との交流と、思いがけない出会いと共に描く、ユーモアと優しさに溢れた7日間の物語。

 

(公式サイトより引用)

 

えー、まあ、非常に穏やかな映画なんですけど、詩を愛するバス運転手パターソンさんの日常を描いた映画なんですけど、映画そのものが詩的で、穏やかな展開と映像ながら、強力にトリップした。いや、まあ本当に穏やかなんですけど、気持ち良いのだ。
主人公であるパターソンさんの感覚や価値観がみているうちにインストールされる。詩を愛する、日々を詩的にみつめる男の感性が入ってくる。

 

また、日々の中で感じたことをノートに手書きで綴るっていいよな、とか、夜いぬの散歩がてらいきつけのBARで一杯だけ飲んで帰るとかいいよな、とか思った。
ささやかな日々の中で、自分が「なんか良い」と思ったものごと対して丁寧な感じがする。丁寧だし、楽しそう。
これはすごいことだと思う。日々を愛することが出来ること、すごい。
ぼくは、まあ、別にしんどい毎日をすごしてるってわけでは全然ないけど、なんやかんや整理できてない些事により、やりたいことに時間が割けなかったり、飲み屋やカフェでひと心地つく時間が作れなかったりすること割とある。

 

詩としてみるのだ、世の中を。生活を。
詩情をもって睥睨するのだ。
情報を、生活を、タスクを、詩として抽出するのだ。
と思う。

 

で、映画を観た後、すこし、それが出来る。そういう感覚で事象を認識できる。すこし。

 

パターソンさんが教えてくれた。

 

そうしてみると、自分の日々に「詩」をみつけることが出来てくる。すこし。
そしたら、ちょっと、楽しい。


で、なんか、久々に地元の旧友と会おうかな。などと思ったのだった。

うれしいゴリラとほがらか創造者

先日、《御バカの天才大集合3》なる、99の豪傑の一年分の業を圧縮・炸裂させ、わーい(^O^)ってなるイベントが開催され、遊びに行ってきました。

会場のどこに行っても出店・出演者さんが居て、なんかやってて楽しい! で、まあ、出店してた絵描きさんに、この絵を描いて貰いました。わーい!

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ささっと描いたようでありつつ、これ以上足しても引いてもなんか違うような絶妙なバランスだと思う。どこまで描いて作品としてひとつ完成かっていう【止め】のセンスすげーと思いました。リスペクト。

 

あの、描き手は、"かまだまみこ"さんと云う。
一度、出張コーヒー屋としてイベントでご一緒させてもらったことで知り合った方なんですが、なんでしょうね、あの、めっちゃ絵、描く。
インスタグラムにたくさん絵をアップロードされてますが、プロフィールに『1、2分で描くドローイングがメイン』とあるように、クロッキーでがしがしドローイングなさる。

 

かまだまみこ Mamiko Kamada (@63tasu88) • Instagram photos and videos

 

たぶん毎日描いていらして、個展のときは、一日数十枚とか描いてる(もっとか?)らしい。なんか、電車のってるときとかでも描いたりするらしいです。
そういう感じ、すごい憧れる。行住坐臥○○してる、っての。すごい抱く、憧憬。
しかもそれを、(傍目には)無理なく自然におこなっているように見える。
出来ませんよ、なかなか。すごい。
いや、もちろん、研鑽の上にこそ成立した状態なのだと思いますが、ご本人はすごい朗らかな方だ。すごい朗らか。
で、まあ、かまだまみこさんすげえという話ですが、この、「1,2分でドローイング」っていうのに強く惹かれるものがある。
あの、手段としてステキだなーと。

なんか、ぼくは、スマホでよく写真とる。なんでも撮る。「なんかいいな」と思ったらリクツを考える前に撮る。「なんかいいな」と思ったものを集めて手元に置いときたいみたいな感情だと思う。
写真、見たまま残せるし手軽だし、すごく良い。しかし、ツールとして、ぼくは、「紙とペン」に強いワクワクを覚える。
手描きは、解像度/情報量ともに無限だと思う。ざっくり言うと【手描きのあじわい】という追加効果が、精緻な絵画でも簡潔な素描でも付与されるため、チートだ。まあ、単純に、文具が好きなので、使うチャンスを探してるだけっちゃだけですが。
あの、そう、探し求めている。スマホで写真を撮るようにクイックに「なんかいいな」を保存でき、なおかつ、好きでつい買っちゃうけどあんまし用途が見つからないペンやノートを活かす道を。
それを、かまだまみこさんのドローイングに見つけた。1、2分で対象の性質を活写せしめる技巧は、不断の研鑽のたまものだとは思いますが、憧れるのはタダだ。うまい素描は勝手に脳でイメージを補完するから、すくない描線ってむしろ皆だいすき【想像の余地】があり写真以上に記憶や感情をキックする。ような気がする。気がするし、こないだ買ったロルバーンを生かせる。

 

なんでノート買ってまうんやろなマジで - #うそめがね日記

 

かの人は、クロッキーで描くけど、そこはボールペンでもえんぴつでも良いと思う。えんぴつ。えんぴつも好きなんですよね。あの、女子の書くえんぴつの文字、筆記具別カワイイ手書き文字ランキングで1位じゃないですか? いやまあ、身近で見る機会あんま無いけど。あー、えんぴつの話は今は良い。

ともかく、ステキなめがねゴリラの絵を描いてもらえたことと、憧憬を覚える技術とセンスを持つ人がいるということ、その人がとても楽しそうに描く人であるということが、嬉しい。

そして、ヘリクツはいいからノートとか買ったら使えよな! おれ!

 

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#雑記 #日記 #随想 #うそめがね日記 #1500文字プラクティス #御バカの天才大集合3 #文具 #ノート #ドローイング #クロッキー #ゴリラ #めがね #メガネ #えんぴつ #手描き #素描

なんでノート買ってまうんやろなマジで

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 なんでノート買ってまうんやろな……。
 あの、なんでノートってつい買ってまうんやろうな……ってときが、わりとある。
 ノート。前も買ったけど、また買った。前のを使い切ったわけじゃない。別の用途で使おうって用事があるわけじゃない。手書きでメモとか図案を書いたりする習慣もあんまりない。でも、また、買った。
 まあ、文具は好きで、休みの日、やることなかったらだいたい文具屋いってる。文具屋にいくつもりなくても、いった先で文具屋の気配感じたら足を向ける。結果、文具屋にいく。
 文具っていろいろある。いろいろあるけど、見ちゃうのはやっぱりノートかなあ。とくにA6やB6サイズのん。
 何でだろう、何で好きなんだろう。わからん。まあ、使うのは使う。頻繁じゃないけど使う。一応持ち歩いてるから、なんかの打ち合わせのときとか、使う。スマホにメモるのが相手から見たらゲームしてるのかメモしてるのか所作にあんまり違いが無いから、なんか、手書きの方にしてる。そのくらい。
 だから、いま持ってるノートで事足りてるし、ページ全然あまってる。でも、また買っちゃう。ぜんぜん合理的じゃない。使い切ったら次が要るけど、それ、いつよ!? という感じだ。でも、まう。つい、買ってしまう。
 なんでしょうね、消耗品というには消費ペースは遅い。小説とかは買ってなかなか読まないとかあるけど、ノートはどのノートも中身は白紙だ。でも、買う。

 あの、先日買ったノート、写真のノートね、「ロルバーン」という銘のノート。ちょっと大きめの文具屋いったらだいたい見かけるリングノート。これを、良く、買う。今回買ったのは、ドイツのデザインユニット「レッドフライズ」が手がけた図案を表紙にしたモデル。

 

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https://shop.delfonics.com/fs/delfonics/cat752/600250

 

 カワイイ。可愛くてしんどい。結局カワイイ。そんなん、買ってしまう。
 あの、ロルバーン、機能性もね、いいんですよ。リングノートなので任意のページを開いたままにしておける。表紙と裏表紙はボール紙めいた頑健さで安定感ある。巻末に透明のポケットが複数ついてる。全ページにミシン目がついてて、必要なら切り離せる。ミシン目は見た目にはわからないくらい細かな細工で、意図して切り離そうとしない限り存在が気にならないってのも良い。頑丈。しかも、カワイイ。
 便利だ。優秀。いまは完全ペーパーレスの会社で働いてるから仕事では出番ないですが、カフェのバイトしてたころは上記の特性がハマって、能率的なメモをおこなえていたし、今たまにやってる出張コーヒー屋のときも重宝してる。
 なんだ、使うじゃないか。用途あるじゃないか。いやいやいや、たまのことなんですよ。それは。一冊使い切るのに数年かかってますからね。でもなー、まうなー。まうまう。まうんですわ。

 

 たぶん、あれです。きっと。
 ノートに、白紙のノートに、期待とか希望とか憧れを投影してるのじゃないか。なりたい自分とか、こうありたい、とか、こういうことしたい、とか、自分はこういうことがきっと出来る、とかそういう。
 あのー、クルマ欲しい、ってときがあったとして、きっと、そのとき考えることって、それに乗ってあそこに行きたい! とか、あの子を乗せたらきっと楽しいぞ! とか、あの道を走ったらぜったい気持ちいいぞ! とか、そういう、未来と未来の自分を考える。そんなようなあれ。
 とか言語化すると、そういう感じだけど、いいノートを文具屋で見かけたときのトキメキはリクツじゃない。無意識に、本能的に、いつでもどこでも【書くこと】をしたいのだ。そういうことなんだ。嬉しい。それは嬉しいことだ。
 おとなになると、「自分が好きなこと」と「自分が好きだと思い込んでること」の区別がつかなくなってくる。素直なエモーションでいたいのに、周囲の影響とか時間の制約とか積み重なる知識や経験とか、纏うノイズが多すぎる。でも、少なくとも、どうやらノートは本当に好きみたいだ。それは書く道具だから、好きみたいだ。それがわかることが嬉しい。書くことはちゃんと好きらしい。

 

 というヘリクツはいいから、買ったら使えよな! おれ!